桜川市にある真壁町は、江戸時代から昭和初期にかけての歴史的な建物が多く残る地区で、国の重要伝統的建造物群保存地区(歴史的な町並みを国が保護する地区)に選定されています

関東では4番目、茨城県内では唯一の重伝建地区として2010年に選ばれた由緒ある町で、100棟以上もの建造物が国の登録有形文化財に指定されています
筑波山の北麓に位置し、美しい山並みを背景に古い町割りと建物が調和する風景は、まるでタイムスリップしたかのような情緒を感じさせます
真壁の町並みの魅力と歴史


真壁の町は、平安時代末期に真壁氏が真壁城を築き、城下町として整えたことに始まります。
その後、関ヶ原の戦いで佐竹氏が西軍についたため、家臣だった真壁氏もともに現在の秋田県・角館へと転封されることになりました。
現在の真壁の町割りは、江戸時代初期に作られました
真壁氏に代わってこの地に入封したのが、浅野氏です。そして、浅野氏によって真壁は陣屋町として整備されました。


浅野氏は、「陣屋」を設け、真壁を陣屋町として再整備。政治・経済の要所として町は新たな姿に生まれ変わります。



その町割(区画)は約400年経た現在も大きく変わることなく受け継がれており、当時の道路の幅や曲がり角といった町の骨格が、旧態をよくとどめているのが特徴です。
町の構造は、東西に延びる4本の主要街道を基軸に、上宿町・仲町・高上町など、5つの町筋が形成される、当時の陣屋町に典型的な町割(区画)に基づいています。


こうした都市構造そのものが、ほぼそのままの形で残されている例は非常に貴重であり、真壁の町並みが高く評価される理由のひとつとなっています。



真壁町の交差点や道路の形状には、現在でも防衛的な工夫が見ることができます。
交差点を見ると、直角ではなく斜めに交わる「鍵の手(かぎのて)」や「枡形(ますがた)」と呼ばれる形状が特徴的です。


これらの設計は、敵の侵入を防ぎ、町の防御力を高めるための工夫として、江戸時代の城下町で広く採用されていました。


また、陣屋(現在の真壁伝承館)のある大和町へと続く道は、いずれも道幅が狭く設計されており、防衛を意識した工夫が随所に見られます。





敵の侵入や騎馬の突入を防ぐため、わざと曲がりくねらせたり、見通しを悪くしたりすることで、戦国時代の城下町に共通する構造が今も町の中に残されているのですね。
真壁町は江戸時代から大正時代にかけて流通拠点だった
江戸時代に入ると、真壁は木綿の流通拠点として大きく発展します。
関西から仕入れた木綿が、ここを通って東北方面へと運ばれていったのです。交通の要衝としての役割が、町のにぎわいを支えていました。
さらに明治に入ると、製糸業が盛んになり、商家たちはますます豊かに。その富が町並みの発展にもつながり、今に残る風格ある建物群が形づくられていったのです。



現在の真壁町は「茨城県桜川市真壁町真壁」という住所ですが、以前は「真壁郡真壁町真壁」として存在し、江戸時代以来、茨城県西地域の政治・商業の拠点の一つとして栄えていました。
また、木綿製品の染色需要も高く、染物業・紺屋(こうや)が真壁町に複数存在していたと考えられます。



真壁には、化学染料を一切使わない、千三百年続く天然藍を使った伝統の藍染めが受けつながれています



実際に、現在も真壁では当時の屋号で呼ばれているご家庭も多く「紺屋」と屋号の痕跡を見つけることができます
そして、真壁では現在でも伝統的な天然藍染めを体験することが出来ます


その後、真壁は石材業は真壁の主要産業として大きく発展していきました。
真壁地域では、良質な花崗岩(御影石)が豊富に採れ、古くから石材加工の技術が受け継がれてきました。
古くは石器時代の遺跡から石器や石棺への真壁石の利用が確認され、鎌倉時代には古碑、五輪塔、仏石なども数多く残されております
江戸時代からは、墓石や石灯籠の需要が高まり、地域の石工たちはその技術を磨いていきます。



そのため、真壁では至る所で、石塀、石蔵、燈籠、御影石の照明を見かけます


明治以降、近代建築などで石材の需要が拡大すると、真壁産の石は国会議事堂や迎賓館、日本銀行などにも使われるようになります。
高品質な石と職人の技術が評価され、石材業は真壁の主要産業として大きく発展していったのです。


江戸時代から昭和にわたる住居や蔵、門など多彩な伝統的建築遺産が現存
真壁の町並みには、町割りや文化だけでなく、江戸時代後期から昭和初期に建てられた様々な伝統的建造物が混在し、今でも独特の景観を生み出しています。
商家の見世蔵や土蔵、立派な門など300棟以上の伝統的建造物が残り、町家や洋風建築も見ることができます。



そのうち100以上が登録文化財の建造物なんですよ
町の中心に建つ昭和初期建築の旧真壁郵便局は装飾を抑えたレトロな洋館で、今も町のランドマークとなっています



真壁の町並みが醸し出す多彩な景観は、城下町らしい風格と商人町のにぎわいが融合したものです。
江戸時代の町割りがほとんど変わらず残り、黒板塀に囲まれた屋敷門や白壁の土蔵造りの建物が軒を連ねています。
商家町でありながら武家屋敷風の薬医門(やくいもん)も点在し、歴史的な建物のバリエーション豊かな町歩きが楽しめます



徐々に真壁の町並みも認知されるようになり、今では毎年のようにテレビの特集やニュース、またドラマの撮影のロケ地となっています





著名人の方も何度か見かけてますね!たとえば、
舘ひろし、竹野内豊、出川哲郎、新田真剣佑、清野菜名、デヴィ夫人、小山 慶一郎、河合郁人など
町を歩けば老舗旅館や醤油醸造の蔵など、時代ごとの暮らしぶりを今に伝えるスポットに出会えるでしょう。
真壁の建築物の種類
江戸時代初期までは茅葺きや板葺き屋根の家並みでしたが、天保8年(1837年)の大火を機に防火性の高い土蔵造りの建物が普及しました。
以後、商家は火災に強い蔵造りの町家や土蔵を次々と建て、現在残る最古の建物もこの大火直後の時期に建てられたものです



明治以降は銀行や郵便局など近代建築も加わり、伝統的意匠と洋風意匠が混在する景観となっています。
見世蔵(みせぐら) – 江戸後期から明治期にかけて造られた重厚な土蔵造りの商家建築。正面に土蔵風の意匠を持ち、防火壁を備えた二階建ての店舗は、真壁の商人たちの隆盛を物語ります
土蔵 – 漆喰壁の倉庫建築。商家の敷地内に建てられ、商品や財産の保管に使われました。白壁の土蔵が軒を連ねる風景は町並みに独特の風情を与えています。
石蔵 - 真壁町の歴史的建築群において、石蔵は見世蔵や土蔵と並ぶ重要な要素です。特に、地元産の良質な花崗岩「真壁石」を用いた石蔵は、地域の石材業の発展と密接に関連しており、その建築技術や意匠は高く評価されています。
町家建築 – 大正から昭和初期にかけて建てられた木造町家も多く残ります。
格子戸や出格子のある伝統的な和風住宅のほか、看板建築風のものや洋風要素を部分的に取り入れたものも見られます。
洋風建築 – 明治末から昭和初期にかけて建てられた西洋様式の建物も点在しています。
例えば町の中心に建つ旧真壁郵便局は装飾を抑えたシンプルな外観で昭和初期の意匠を示し、戦前から現在まで真壁のランドマークとなっています
伝統的な門 – 商家町でありながら、武家屋敷のような格式ある門が多い点も真壁の大きな特徴です。薬医門や長屋門、さらに高麗門といった、通常の民家ではあまり見られない本格的な門構えが町内各所に残っています
真壁には、多彩な様式の歴史的建物が数多く現存しており、その種類の豊富さが評価されています。



登録文化財に登録されてない歴史的に重要な建築物も、まだまだたくさんありますよ。
たとえば、御陣屋前通りは意外にも登録文化財の指定を受けていないんですよね


主要な歴史的建造物は徒歩でひと回りしながら見学できます
真壁伝承館・歴史資料館



江戸時代の真壁藩の本陣跡(陣屋跡)に建つ真壁伝承館・歴史資料館もあります


資料館で町の歴史背景を知れば、より一層真壁散策が充実するでしょう。
また時間があれば、中心部から少し離れた国指定史跡の真壁城跡にも足を伸ばしてみてください。
現在整備中ですが一部公開されており、往時の城の構造を偲ぶことができます
真壁の町並みの中で行われるひな祭りは必見


毎年2月上旬から3月上旬にかけては「真壁のひなまつり」が開催されます。
寒い時期に訪れる観光客をもてなそうと、町中の約160軒ものお宅が雛人形を飾り、歴史ある町並みに彩りを添える早春の風物詩です


雛飾りをめぐりながら古い町並みを歩けば、一層暖かな気持ちになれるでしょう。
筑波山観光とセットで楽しむ真壁散策


真壁の町並みは筑波山観光と組み合わせて訪れるのにも最適です。
筑波山の登山や神社参拝を楽しんだ後、車で約30分ほど北側に下れば歴史の街・真壁に到着します。
雄大な自然を満喫した後に、今度は古き良き城下町の風情を味わえるため、1日で茨城の「自然」と「文化」をバランスよく体験できます。



実は、筑波山の何割かは真壁(桜川市)なんですよね



真壁を好きな人は、山が好きなタイプと、文化が好きなタイプがいますよね


真壁町は、筑波山北麓の位置にあり、江戸時代には筑波山麓の門前町や周辺地域とともに独自の商業圏を形成していた歴史があります



明治維新につながる、日本の歴史を動かした桜田門外の変や天狗党の乱は、筑波山周辺の武士が参加したり、拠点となったのは筑波山周辺らしいですね



正式な歴史資料はありませんが、私が幼少期に近所のおじいさんから聞いた話だと、桜田門外の変に加わった隊士のご家族が真壁の郊外にいたとか…
現代でも筑波山エリアを訪れる観光客にとって、真壁は「もう一ヶ所立ち寄ってみたいスポット」として十分価値があるでしょう。
たとえば、午前中に筑波山をハイキングした後、午後は真壁の古い町並みを散策するといったプランはいかがでしょうか。
真壁では歴史的建造物を見学しながら、カフェで休憩したり和菓子を食べたりとのんびり過ごせます。
東京方面から来ても、筑波山麓から近い場所に位置するため、日帰り旅行でも無理なく両方訪問できますし、宿泊の場合は筑波山周辺の旅館に泊まりつつ夕方に真壁を散策する、といったコースもおすすめです。



昔、テレビの企画で大成功した、ハンバーグ屋「ペンギン」は、今でも東京から観光バスが、筑波山周辺へ観光に来た際に立ち寄るコースに入っていて賑わっていますよ


徳川御三家の土地・茨城で、どうして真壁だけが重伝建に?


関東を見ても茨城県内を見ても、江戸時代でも現在でも真壁は大きな町ではなく、ほかの同様な地域があるのに、どうして国の重要伝統的建造物群保存地区になれたのでしょうか?
この記事でも解説してきたように、真壁には歴史的な価値が高いものが多く残っています。
しかしそれでも、水戸、土浦、結城、笠間、古河なども同様に歴史的な地域でもありますし、むしろ今も昔も真壁よりも大きいのではないか?と疑問が残ります。



この章では、なぜ真壁だけが重要伝統的建造物群保存地区になっているの探ってみます
多様な時代の建造物の良好な保存状態
真壁には、江戸後期から明治・大正・昭和初期にかけての建物が、商家、土蔵、町家、洋風建築など様々な様式で、重層的に町の中に息づいています。
一つの時代だけでなく、時代の移り変わりと共に変化してきた暮らしの痕跡を、町全体で見ることができるという点は、他の地域にはない大きな特徴です。
しかも、それらの建物の多くが、改築や近代化によって外観を大きく損なうことなく、驚くほど良好な保存状態を保っているのです。
それは、住民の保存意識の高さ、そして文化財登録を支援してきた行政の努力の賜物と言えるでしょう。
町割りが当時のまま残されている
「鍵の手(かぎのて)」や「枡形(ますがた)」と呼ばれる、防衛のために道を直角に曲げた城下町特有の設計です。敵の侵入を防ぎ、見通しを悪くする工夫として用いられました。
現代の交通や都市開発にそぐわないこれらの町割りは、他地域では徐々に失われていますが、真壁では今もその形が残り、町の構造そのものが江戸時代の記憶を宿しているのです。
道路の幅や区画の配置まで、400年前とほとんど変わらないという町は、全国を見渡しても非常に希少です。



昔の城下町や陣屋町の町割りが残る地域では、車が通れる幅がないのが普通ですが、なぜか真壁の町並みには現代の車が通れる道幅が整備されているんですよね
第二次世界大戦の戦災を回避できた
茨城も第二次世界大戦の空襲や艦砲射撃によって、多くの歴史的建造物や町並みが失われました。
徳川御三家の水戸城も水戸空襲で焼失してしまいました。現在は、大手門や水戸城の土塀、そして二の丸角櫓などが復元する整備が進められているようです


真壁は、戦災を回避できたことが、町の構造や建造物が当時のまま残る、貴重な「時間の保存箱」としての価値を押し上げたのです。
地域住民の保存活動
真壁の町並みが、今なおこれだけ美しく残っているのは、文化財としての価値だけでなく、地域住民の強い思いと行動力があったからです。
真壁もまた、高度経済成長の時代の昭和50年代から真壁の伝統的な建造物の取り壊しが目立ち始めました。
そんな中でも、住民の中には解体作業を写真に収め、記録に残す活動を行う人もいたといいます。
「いつかこの記録が役に立つ日が来るかもしれない」――その思いが、後の保存活動の礎になりました。



その後、住民有志が立ち上がり、伝統的な町並みの継承・活用を志す住民有志が保存団体を結成、町並み保存に向けた活動を開始しました。
行政もこれを支援し、平成11年には次々と民家や商家の建物などが、伝統的な建築物が次々と国の登録有形文化財に認定されました。その数、当時で104棟!
これは全国でも類を見ない規模であり、真壁は「登録文化財の町」として広く知られるようになります。
このような住民と行政の連携が、町並みの保存と活性化につながりました。
ところが、東日本大震災で町並みの約9割の建物が被災する甚大な被害を受けました



しかし、ここでも「古い景観を何としても残したい」という住民の強い思いがありました。
やはり、伝統的な建築物を再建するためには、一般的な住居を作るより、手間や大工さんの技が必要になるため、単価は倍以上になってしまうのは珍しくありません。
また、費用面だけでなく、修復が難しい状況の建築物もありました
それでも、多くの建物が震災前と変わらない歴史的町並みが見事によみがえったのです。
全てが復元できたわけではありませんが、真壁の景観が今も美しく残っているのは、そうした住民の熱い意思と努力があったからに他なりません。



また、町を守る取り組みは建物だけではありません。
「真壁のひなまつり」や、「1300年続く藍染めの文化」、「400年以上続く無形民俗文化財に指定された真壁祇園祭」、「若者たちによる地域文化の継承活動(The Day)」など、暮らしとともにある文化の保存も続けられています。



真壁の人たちって、真壁を愛している人多いよね!
普段は遠方にいる人も、町の催しに積極的に協力してくれる人が多い
真壁の町並みは、住民が守ってきた文化そのものです。
歩いてみると、そこかしこに、そうした思いが息づいているのを感じることができるでしょう。
桜川市真壁町へのアクセス
真壁町へは、公共交通機関または車でアクセスできます。
公共交通でのアクセス
公共交通機関を使う場合、少し時間はかかりますがJRとバスを組み合わせるルートがあります。


JR東北線経由
東京からは宇都宮線経由で小山駅まで行き、JR水戸線に乗り換えて岩瀬駅で下車します
岩瀬駅からは桜川市のコミュニティバス「ヤマザクラGO」(真壁方面行き)に乗ります。


「下宿」バス停で降りれば真壁の町並みの入口です。



下宿バス停には、登録文化財の旅館・伊勢屋旅館があるので目印になります
バスの所要時間は約25分、運賃は片道200円ほどで比較的安価です



ただし、本数が限られているため、事前に時刻表を調べて計画すると安心でしょう。
つくばエクスプレス経由
東京(秋葉原)からつくばエクスプレスでつくば駅まで約45分
つくば駅から、つくば市のコミュニティバス「つくバス」北部シャトルに乗車し、筑波山口バス停で下車します。所要時間は約30分、運賃は約300円です。
筑波山口バス停から、桜川市のコミュニティバス「ヤマザクラGO」に乗車し、真壁地区へ向かいます。主な下車バス停は下宿バス停です


車でのアクセス
首都圏から真壁へのアクセスは、自家用車を利用するのが便利です。
東京方面からは常磐自動車道の土浦北ICを降りたのち、筑波山のふもと近くを走ること、車で40分ほどで真壁に到着します
また、北関東自動車道を利用する場合は桜川筑西ICが最寄りで、ICから真壁町までは車で15分ほどです
駐車場
真壁の町並みを散策する際は、中心部の無料駐車場(高上町駐車場)を起点に御陣屋前通りや下宿通りなどを巡るコースがおすすめです。(ひなまつりなどのイベント時には、有料になることも…)


〒300-4408 茨城県桜川市真壁町真壁279−1



鉄道駅から離れている分、歴史的な町並みが静かに保存されているとも言えます。時間にゆとりをもって、ゆっくり真壁を訪ねてみてください。