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茨城県の歴史と豆知識 なぜ関西に多いはずの山車祭りが茨城に多い? 

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茨城県の歴史と豆知識

私は歴史は好きな方なのですが、お祭りなどの起源や、地元にある歴史民俗資料館、ご年配の方々から教えてもらえる歴史は、500年~400年から以降の歴史は知ることがあるのですが、それ以前の事はあまり知りませんでした

ブログを書くにあたって改めて茨城の歴史を学びなおしてみました

(このブログでは、歴史書で使われているような当時使われていたような専門的な言葉を使うと伝わりにくいので、現代の言葉にかみ砕いたような、分かりやすい言葉で説明させていただきますね)

 

やはり、茨城県に住んでてる人の茨城県の歴史といえば、徳川御三家であり水戸藩 水戸光圀公で、水戸黄門のイメージありますよね。

茨城=水戸藩 のイメージありますが、現在の行政区分と、江戸時代 さらにはその昔の行政区分と変わるので必ずしもそうではないですが。

 

私の住んでる地域は、県内だけで考えれば現在の県庁所在地の水戸からは少し離れていまして、少し歴史の深い町に住んでいます。

町に根ずく文化やお祭りの風習などを聞いたり調べたりすると、江戸時代以降よりも 江戸時代以前のもっと古い歴史から来ているようです

小さなころから、歴史民俗資料館や、真壁城跡地にいきますと、歴史を語ってくれている碑や案内板があったりするのですが、前の記事でもご紹介しましたが、私は江戸時代から明治維新当たりの歴史が好きなので、それ以前の歴史は軽く読み流した程度の認識でした

小さな頃は地元の文化が当たり前で、不思議とも何も違和感もなかったのですが、大人になって行動範囲が広まると周囲の文化と違いを感じていきました

 

一番最初に身近に感じた事といえば、お祭りですね

関東のお祭りは、お神輿が多いのに、真壁のお祭りは山車。

至る所に真壁という地名があり、初代城主は真壁氏、なのに現在真壁町で真壁の苗字を名乗る人に会ったことがない…どうしてなのかなぁと不思議に思っておりました

 

というのも、茨城の歴史をたどると、400年前までとそれ以前ですと文化の流れの違いの転換点がありました。

関ヶ原の戦いです

この件に関しては、のち程詳しく語りたいと思うのですが、簡単に説明しますと

 

江戸時代以前の常陸の国(現在の茨城県の多くの部分)は佐竹家が治めていました

佐竹家は関ヶ原の戦いののちに、出羽国(現・秋田県と山形県のあたり)に国替えさせられました

江戸時代以降は、徳川御三家がの歴史や文化の面が大きくなります

 

平家の流れの文化があった

歴史書などを見ると、今はあまり使われない言葉でいろいろ語られていたり、分かっていないこともあるのですが、かみ砕いた感じにわかりやすく言うと、平安時代に平家の流れのにあるようです

真壁の初代城主は、真壁長幹(まかべながもと)です。真壁の今残る文化の始まりはここから始まりますね(1172年。文化的には残ってはいないですが古墳や貝塚もあるので、もっと古代の歴史はあるのですが、受け継がれている文化の歴史としてはここが始まりのようです)

家系を見ますと多気家の方になりますね

 

多気家の家系図を見ますと、茨城の地名になっているお名前の方が多数見ることができますね

(常陸 鹿島 下妻 那珂 行方など(一部は茨城にあった地名から姓を取られた方もいます)

 

さらに少し歴史をたどると、平国香に行きつきますが、この方は平家の武将さんで父は平高望で元皇族です

(現代に置き換えると、女系は宮家になれないので皇族を離れる的な感じですね)

桓武天皇の孫かひ孫にあたるようです(この詳細は明確になってないようです)

 

これを嫡流(ちゃくりゅう)として佐竹氏が常陸の国を長く治めることになりました

戦国時代へ

戦国時代になり、佐竹家・佐竹義重は織田信長と親交が深く、息子の佐竹義宣は豊臣秀吉・石田三成との交流がありました

佐竹義宣は石田三成に友情と恩義がありました。

 

佐竹義重は徳川に付く方が有利と進言もあったのですが…佐竹義宣は豊臣秀吉や石田三成を裏切ることもできなかったんですね

 

現代の人間関係にもありそうな、難しい選択ですよね

 

佐竹家の中の意見を集約することもできなかったので、関ヶ原の戦いの時には、「徳川に敵意がない事を示す立ち位置」を取ることになりました。

 

戦国時代の日本史を紹介している本を見ますと、徳川側についたか、石田側についたかの図解などを見ると、佐竹氏は石田側になっている事になっていますね。

歴史書を読んだ時の自分の感想も「石田側につくけど、徳川に攻撃はしないよ」みたいな印象を受けましたね

 

結果的には、徳川家康には「あいまいな態度」と取られた様で、外様大名とされ国替えさせられたということになりますね

 

まとめ

結果的に現在、茨城の多くの地域に残っている文化は、桓武天皇→平高望→平国香(平家) から嫡流とし佐竹氏が治めたことによる流れの文化

佐竹氏が国替えされた後の、徳川御三家の水戸藩の治めることによる文化 が残る形になっているようです

 

私の街・真壁町は、城跡や平安時代から続く神社 旧街並みも残りますし、夏の祇園祭も西日本の色の文化を感じさせるのはそのせいなのかもしれませんね

 

ちなみに、現在秋田県の角館には、私の町と同じスタイルのお祭りと同じものが残っています

角館の方が元の形に忠実な姿をみられるかもしれません

 

歴史を読み解くと、離れた秋田に自分の地域と同じ文化が残っているって不思議な感じで面白いですね

 

私たちの町真壁町は、街並みは伝統的建造物群保存地区になっており

夏祭りは国の無形民俗文化財になっております

(私の町は、ちょっと激しすぎたのか…昭和前期の頃よりおとなしいお祭りになっているようです)

 

最近では、町おこしのイベントで 真壁のひな祭りでちょっと知名度が上がりました

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